つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

「はじめに」  

「はじめに」 作手村長 佐宗靖厷 村制施行八十周年を記念して,このたび「つくでの昔ばなし」を発刊することができました。これには,村内の若いお母さんたちの集まりである,作手村文化協会の「あめんぼ読書会」の皆さんが中心となって,子供たちにも理解し…

冊子「もくじ」

はじめに o 天狗とかしき小僧o 竜頭山(りゅうずさん)o 弘法栗o 赤和尚のカシャ退治o 雨乞のおつぼ池o 狸神社o 西田原の大蛇o 葦道山夢不動尊(あしどうさんゆめふどうそん)o やまとたけるの命とミコサシo 米福長者(よねふくちょうじゃ)o こうやまき (…

天狗とかしき小僧

秋もようやく終わりに近づいて,段戸山にも霜がおりはじめたころです。丸太の山出しをする人夫たちが,20人ほど親方にひきつれられて山に入りました。この中には,かしき小僧の幸一がおりました。“かしき”というのは,人夫たちの食事の世話をするもののよび…

竜頭山(りゅうずさん)

作手村の北部に,竜頭山という,龍が頭をもたげたような異様な姿をした高い山があります。鳴沢の滝から上を見上げると,はっきりとその姿がわります。山頂の洞穴には極楽へみちびく師とされる虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)がおまつりしてあり,霊山とされて…

弘法栗

むかし,作手村の菅沼から守義へ通じる山道を旅の坊さんが通りかかりました。黒い衣は,よれよれによごれ,ところどころやぶけていました。坊さんは,昨晩から,何も食べず,山からわきでる清水だけをのみ,歩きつづけていたのです。旅のつかれと,空腹とで…

赤和尚のカシャ退治

菅沼の楽法寺は,今から六百年くらい前の,南北朝時代に,南朝方の親王のけらいであった菅沼俊治公をとむらうために建てられたものだということです。曹洞宗の格式の高い寺で,江戸時代には,末寺が七つもあり,かなりりっぱな寺でした。菅沼俊治公は,三石…

雨乞のおつぼ池

中河内の和助が,子生堂から西の方の山へ仕事にいっての帰りのことです。その日は,いつもと違う山道を歩いて帰ることにしました。すると立木を通して,はるか前方に,きらり,きらりと光るものがあります。 「はて,なんだろう。」 和助は,早足で,光るも…

狸神社

北中河内のカラクイリに住んでいる狸は、まったくこまったいたずらものでした。大きな犬ほどもある古狸で、背中には、白い八の字のもようがついており、そのもようで、誰にでも、ああ、あのいたずら狸かとすぐわかったそうです。 中河内に住んでいる人々は、…

西田原の大蛇

西田原に、そう平という働き者で、正直な男がいました。そう平の奥さんは、かわいらしい赤ちゃんを産むとすぐになくなってしまいました。そう平は、田んぼで仕事をするときにも、畑仕事をするときにも赤子をつれていき、世話をしながらせっせっと働きました…

葦道山夢不動尊(あしどうさんゆめふどうそん)

中河内にある葦道山のお不動様の話です。明治のころ、中河内にとくばあさんという人が住んでいました。とくばあさんは、からだが弱く、ねたりおきたりの、生活をしていました。右手はくの字型にまがり、手首には、大きなこぶができていました。このこぶが、…

やまとたけるの命とミコサシ

倭建命(やまとたけるのみこと)は、幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、景行(けいこう)天皇の第3皇子です。あるとき、兄の大碓命(おおうすのみこと)をつかみ殺してしまい、父から、そのあまりに激しくあらあらしい気性をおそれられ、西方の賊、熊…

米福長者(よねふくちょうじゃ)

高い本宮の峰をいつか登りつめていと、やがて目を見張るような平地がひらけてきます。ここが作手の里です。ずっと遠くには小高い山が連なって、この平地をとり囲んでいますが、だれだってこんな平原が高い山の上にあるとは信じられないほど広々としているの…

こうやまき (その1)

今から六百年ほど前の,足利時代のことです。 びわ湖のある近江の国の永源寺から,悟心禅師が三河へ旅をされていました。禅師は,そのおり,こうやまきをつえにしておられました。そして,作手の鴨ヶ谷の甘泉寺にお入りになると, 「生きて大樹となれ。喝!! …

こうやまき(その2)

甘泉寺で、百年ほど前におこった話です。境内を色どったもみじも散ってしまったある朝のことです。 「おしょう様 おしょう様 大変です。」 庭そうじをしていた小僧たちか、さけんでいます。 「どうしたのだ。」 おしょう様は何ごとかととぴだしてきました。 …

お犬様

野郷と川合と相手らの三つの村の境に,曲り峠という小高い丘があります。峠へ通じる道ぞいに,山犬の神様のお犬様をまつってある石室があります。この付近一帯は,すすきがさわさわとゆれ,広い野原となっているためか,きつねがむれをなすようにたくさんす…

天狗にさらわれたよめ様

本宮山の近くに金持ちの家がありました。村でもひょうばんなきれいなよめ様がいました。 ある夏の夜のことです。よめ様は、となりの家へもらい風呂に行きました。 「ああ、さっぱりした。」 と、パタパタとぞうりの音をさせ、家の前まできた時です。「ヌウツ…

保永(やすなが)の三滝

保永の三滝は,一の滝,二の滝,三の滝と三つの滝が連なっている大きなものです。その中でも,一の滝の滝つぼは深く青ずんでおり,昔から底が知れないといわれていました。ここには蛇穴という岩穴があり,昔からこの蛇穴に大蛇がすんでいるといわれていまし…

打木(うつぎ)のクロボロウ

「おっかさん、からだがかゆくてしかたがないよ。」 「今、いそがしくて手がはなせないんだよ。かゆいぐらいがまんしな。」 太郎はぐずぐずいいながら、いろりばたをごろごろころがっています。そのうち、とうとうなきだしました。 「かゆいよぉ、からだがあ…

わんかせ淵

「こまったなぁ、とっさまのおねんきをしたいが、お客様に出す、おわんもおぜんもない、どうしたらいいんだか。」 田んぼの仕事をおえた三郎さは、口の中でぶつぶついいながら歩いていました。見代の三郎さは、働き者でしたが、こどもも多く、くらしは楽では…

滝上(たきがみ)の明神様

杉平の集落から、御前石峠へ向かって五町足らず(約500メートル)ほど登ると、道のかたわらに、岩の真ん中が二つにわれ三分(1センチ)ほどのすきまのある大きな岩があります。これを下の明神様とよび、さらに十五町余り(1.5キロメートル)ほど登っ…

おもづな淵

協和地区の赤羽根川と巴川が合流するところを、おもづな淵といっています。現在は、近代的な橋がかけられておもづな橋と命名されました。おもづな淵にはこんないい伝えが残っているのです。 おもづな淵は、陽当たりもよく、岸には、大小の岩もたくさんありま…

巴川(ともえがわ)の川小僧

朝早くから、カンカンとお日さまが照りつけている暑い日でした。 「おーい 泳ぎにいかまいか。」 村のいたずら仲間がよびにきました。 「こらァッ、遊んでばかりいたらだめだぞ。」 遠くでおっかさんが叫んでいても、子どもたちは踊るように、川に向かって走…

天狗のともしび

むしあつい夏の夕ぐれです。この日、上小林(かみこばやし)の人たちは、峯田源造(みねだげんぞう)さんの家に集まっていました。源造さんは、関西地方のお宮めぐりの旅を終えて帰ってきたところです。近所の人が集まり、神むかえの儀式をやろう、というこ…

伝右衛門サとたぬき

作手村の小林に、むかし伝右衛門サという人がいました。あるばん、伝右衛門サがいろりばたでなわをなっていると、うらの山で、 〝ポンポコ ポンポン〟 と、たぬきの腹づつみの音がします。そして、何やらうたっているようです。そっとうらぐちまで行って耳を…

犬千代サ(いぬちよさ)

作手村の川手に菅沼教氏(すがぬまのりうじ)という人が住んでいました。この人は犬のように鼻がきいて、何事も見逃さない鋭い目を持っていました。猪や鹿などの跡を探すことには、人よりすぐれた力を持っていたことから、世間の人たちはいつのまにか犬千代…

空沢(からさわ)の大熊

大和田の村はずれにある空沢山には、十五尺(10メートル)ぐらいの断崖絶壁が、いくつもそびえたっております。その大きな岩石の一カ所に穴があって熊がすんでおりました。岩石と岩石の間に幅三尺(1メートル)くらいの切れ目があり、上り勾配に奥の方へ…

彦坊山の山姥(やまんば)

むかし、大和田村に半助という鉄砲うちの名人がいました。秋の朝のことでした。 「彦坊山のほらへ、鹿の大群がきたのを見たぞ。」 と村の人たちが口々にいいだしました。彦坊山というのは、大和田からも、岩波、木和田からも一里(4キロメートル)ほど離れ…

古戸崩(ごうどなぎ)

今から五百年くらい昔のことです。大和田の慶雲寺(けいうんじ)には住職がいませんでした。ある日、どこからかひとりの修験僧が大和田村にやってきました。慶雲寺におまいりをすませたあとのことです。村の役人の家に行き、 「立派なお寺がありながら、お坊…

自害淵

むかし、大和田村には空をおおうような大木が、山や谷をうめつくしていました。その下をすみきった川が、とうとうと流れており、川には深い淵がいくつもありました。 なかでも、自害淵は、底がわからないほど深いといわれていました。いつも碧い水をたたえて…

田峰からこられた十一面観音

江戸時代は天保のころです。大和田の村もとっぷりと日がくれて、静かな夜をむかえていました。 「ドンドン ドンドン」 小島家の戸口をたたくものがあります。 「はて 今ごろ何の用だろうか。」 おそるおそる主人が戸をあけると、うすぼんやりとした明かりの…