つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

冊子「もくじ」

はじめに
o 天狗とかしき小僧
o 竜頭山(りゅうずさん)
o 弘法栗
o 赤和尚のカシャ退治
o 雨乞のおつぼ池
o 狸神社
o 西田原の大蛇
o 葦道山夢不動尊(あしどうさんゆめふどうそん)
o やまとたけるの命とミコサシ
o 米福長者(よねふくちょうじゃ)
o こうやまき (その1)
o こうやまき(その2)
o お犬様
o 天狗にさらわれたよめ様
o 保永(やすなが)の三滝
o 打木(うつぎ)のクロボロウ
o わんかせ淵
o 滝上(たきがみ)の明神様
o おもづな淵
o 巴川(ともえがわ)の川小僧
o 天狗のともしび
o 伝右衛門サとたぬき
o 犬千代サ(いぬちよさ)
o 空沢(からさわ)の大熊
o 彦坊山の山姥(やまんば)
o 古戸崩(ごうどなぎ)
o 自害淵
o 田峰からこられた十一面観音
o 荒原(あわら)の明神池(みょうじんいけ)
・参考文献
・編集にたずさわった人

 昭和61年11月 発行
 編集・発行 作手村文化協会「あめんぼ読書会」

はなしのふるさと

「はじめに」  

  「はじめに」
     作手村長 佐宗靖厷

 村制施行八十周年を記念して,このたび「つくでの昔ばなし」を発刊することができました。これには,村内の若いお母さんたちの集まりである,作手村文化協会の「あめんぼ読書会」の皆さんが中心となって,子供たちにも理解しやすいようにと,内容にも工夫を凝らしながらまとめ上げていただいたものであります。また挿絵の版画は,作手中学校生徒の皆さんが知恵をしぼり,腕によりをかけ,彫り上げてくれたものです。いずれも傑作揃いといえましょう。

 ここに収められたむかしばなしは,私たちの先祖が子孫に語り伝えた伝説や民話の数々であり,これはまた昔の貴重な文化として,私たちが後の世へ伝承しなければならないものだと考えるのであります。
 現在の社会は,物質文明の発達とともに大きく変容し,飽食の時代といわれる今日,物の豊かさから,心の豊かさを強く求める気運が急速に高まってまいりました。これは時代の趨勢とはいえ,人が人の心を失いかけたことに気付いた結果と申すべきでありましょう。素朴で温かみのある「つくでの昔ばなし」の中から,先人たちの生活ぶりを偲ぶと同時に,古人の心を感知して“人の心”を探求し,これが次の新しい発見,思考への糧となることを願うところであります。
 最後に,本冊子の発行に際し地方振興事業の適用をお認めいただいた県ご当局をはじ
め、ご尽力下さった関係各位に謹んでお礼を申し上げます。

表紙「つくでの昔ばなし」

天狗とかしき小僧

 秋もようやく終わりに近づいて,段戸山にも霜がおりはじめたころです。丸太の山出しをする人夫たちが,20人ほど親方にひきつれられて山に入りました。この中には,かしき小僧の幸一がおりました。“かしき”というのは,人夫たちの食事の世話をするもののよび名です。また,かしきの手伝いをする子供を,“かしき小僧”といっていました。
 かしきや,かしき小僧の幸一は,まだ夜が明けきらないうちに起きて,火をおこし,大がまで人夫たちの朝めしをたきます。めしをたくいいにおいが,小屋中にただよってくると,人夫たちは,ひとり,ふたりとごそごそと起き上がってきます。
「幸一,早起きして感心だな。」
「幸一のたいためしはうまいぞ。」
 人夫たちは,大きな手で幸一の頭をぐりぐりとなでました。時には,山に働きにいった帰りに,おいしいあけびの実や山ぶどうをとってきてくれました。また,時には,かわいいりすの子をつかまえてきてくれたこともありました。幸一は,やさしくて,力の強い人夫たちが,大好きでした。毎朝,めしがたきあがると,幸一は,必ず初めの一わんを山の神にそなえました。
「どうか,今日もみんなが,無事ではたらけますように。」
 手をあわせお願いするのでした。f:id:tsukude:20200803152722j:plain
 段戸の山に入って,一週間ほどたった夜中のことでした。幸一は,なにやら異様な気がして,ふっと目をさましました。大男がぬうっと部屋の中に立っていました。山小屋には灯りがないので,まっくらなはずなのに,大男のまわりだけは,昼のように明るいのです。
「夢をみているのかな。」
 幸一は目をこすりこすり,もう一度よく大男を見上げました。大男は,あから顔で鼻が一尺(30センチ)もつき出ており,頭には,山ぶしがかぶっているような黒い冠をのせています。
「アッ,天狗様だっー!」
 そう思ったとたん,からだがガタガタとふるえてきて,ねていたふとんを頭からひっかぶりました。
「お助けください。お助けください。」
 幸一は,何度もつぶやきました。
「小僧,おれはこの山におる天狗だ。おれはお前を,にてくおうとも,やいてくおうとも,おもっとらん,ビクビクするな。」
と,大声でいいました。
「ヘェー。」
 幸一は,ふるえた声で答えました。
「おれはな,今夜お前にお礼をいいにきたんだ。お前はいい小僧だ。毎朝,初めのめしを,おれたちにそなえてくれるのをうれしく思っている。そこで,こんどはお前に,ひともうけさせてやろうと思ってきたんだ。おい,ふとんをとれ。」
「ヘェー。」
 幸一は,おそるおそるふとんをとり,きちんとすわり直しました。
「こんどの山の丸太出しを,お前ひとりでひきうけてやってみろ,全部をひとりでやるというんだぞ,おれたちが手伝ってやるからな,親方にたのんで,うけてみることだ。ところで,やるときめたら,おれたちの仲間に,めしをひとかまたいてそなえてくれ。」
 天狗は,そういいおわると,さっさと部屋から出ていってしまいました。幸一は,夢の続きのように思えて,しばらくぼんやりとすわっていました。これまで,人夫たちから,段戸山の頂上で天狗たちが,大きな火をたいていたとか,大勢の天狗たちが集まって大声で話し合っていたなど聞いたことはありましたが,家の中まで入りこんできたという話は聞いたことがありませんでした。
「天狗がもうけさせてくれるといった話はほんとうだろうか。」
 おどろきのあまり,目がさえたまま,朝をむかえました。幸一は,天狗のいったことを信じてみようと決心しました。朝早く,起き出してきた親方に,思いきってたのんでみました。
「この山の丸太出しを,わしひとりでやってみたいと思うんだが,やらしておくれんかい。」
「なんてぇばかなことをいうんだ。この山は。丸太もでかいし,たくさんある。小僧の力で何ができるもんか。なまいきをいうんじゃない。」
 親方は幸一をにらみつけました。
「わしひとりでぜったいできるから,やらしてくれんかい。」
「だめだ,だめだ,けがをするのがおちだ。」
「やらしておくれ,一晩でやってみせる。」
 幸一が,何度もたのむので,親方はついにおこってしまいました。
「そんなにやりたきゃ,かってにやってみろ! こまって泣きついてきても,だれも助けてやらんぞ。」
 親方は,かんかんにおこって,たちあがって外へ出ていってしまいました。幸一は,さっそく,みんなの朝めしや弁当をつくってから,別にひとかまのめしをたきあげました。そして,天狗のいったとおりに供えておきました。f:id:tsukude:20200803153000j:plain
 その夜のことでした。人夫たちが,みんなねしずまったときです。
「ザッ ザッ ザッ。」
 小屋の外を人が通るような物音が続きました。しばらくすると,こんどは,山の上の方で,
「エンヤラホイ エンヤラホイ。」
という元気のいいかけ声が聞こえてきます。ぐっすりねむっていた人夫が,
「あれは,何の音だ。」
と,起き上がりました。
「天狗様が,夜遊びでもしているのかのう。」
だれかがいうと,
「そうだ,それにちがいない。」
とまた,ねむりこんでしまいました。あくる日は,カラリと晴れた好い天気でした。丸太を集める場所へ見まわりにいった人夫が,あわてて小屋へ帰ってきました。
「や,山じゅうの丸太が,みんなきり出してある。」
「ええっ。」
 親方も,ほかの人夫も,急いで見にいきました。そこには,なんと一晩のうちに,うず高く,丸太の山ができていました。
「うーん。」
 親方は,うなりました。幸一のいったことは,ほんとうだったのです。親方は,幸一にたくさんのおかねをはらいました。
 仲間の人夫は,幸一は,山の神様である。天狗に助けてもらったにちがいないといい合いました。そんなことから,幸一は,いつしか「天狗かしき」とよばれるようになりました。幸一には,山の神様がついているということで,人夫たちに大事にされたということです。

竜頭山(りゅうずさん)

 作手村の北部に,竜頭山という,龍が頭をもたげたような異様な姿をした高い山があります。鳴沢の滝から上を見上げると,はっきりとその姿がわります。山頂の洞穴には極楽へみちびく師とされる虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)がおまつりしてあり,霊山とされていた竜頭山への村人のそぼくな信仰のあらわれでしょう。山頂から少し下ると杉やひのきが緑も濃く茂っています。ここは,作手村鳳来町設楽町の山町村の村境になっています。
 ある日,ひとりの男が,
「竜の頭の岩山へ登ると罰があたるなんて,そんなこたあ,おかしいぞ。」
と,勇んで山へ登っていきました。しかし,いつまでたってもおりてこないので村の人が探しにいくと,竜の頭の下の松にひっかかって死んでおりました。
 大昔のころは,竜頭山にすんでいる竜は,冬の最中でも岩の上にいたということです。大輪村のある男が,寒中に山に登っていくと,確かに竜がいましたが,その背中は凍傷ではれあがり,皮がところどころ破れて,竜はブルブルふるえておりました。
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「お前は馬鹿だなあ,やせがまんはやめて,南の暖かい国へ行くのが利巧だぞ。」
というと竜は,
「ウンそうだったなあ。」
とうなずいて,大空に向かって,大きなうなり声を出すと,たちまち,むら雲がおりてきて,それに乗って南の空へと飛び去ったといわれております。
 また,竜頭の神様のお使いは,まむしだともいわれております。まむしはたくさんいますが,かまわない限りかむようなことはありません。が,いじめたりすると,幾十,幾百のまむしが群でおそってきて手におえないそうです。

弘法栗

 むかし,作手村の菅沼から守義へ通じる山道を旅の坊さんが通りかかりました。黒い衣は,よれよれによごれ,ところどころやぶけていました。坊さんは,昨晩から,何も食べず,山からわきでる清水だけをのみ,歩きつづけていたのです。旅のつかれと,空腹とで坊さんは,ふらふらになり,そばにあった,牛の背のような岩の上にどかりと腰をおろしました。
「ふうー やれやれ。」
 つえにすがりながら,目をつむり休んでいたときのことです。
「おーい あったぞー。」
「こっちだ こっちだ。」
 どこからか元気のいい声が聞こえてきました。子どもたちの声のようです。ゆっくりとあたりを見まわしてみると,目の前の林の中で,ちらちらと,二,三人の子どもの姿が動いています。
 何をしているのだろうかと,なおもよく見ていると,こどもたちは,木の上に登っていくところでした。高い木なので,なかなか思うように登っていけないのです。
「これは あぶないな。」
 坊さんは,たちあがり,木のそばへ歩いていきました。
「これ,これ,そんな高い木に登って遊ぶとけがをするぞ。」
「ちがうよ 坊さん,おらたち,柴栗をとっているだに。」
と,木の上で子どもがいいました。なるほど,よく見れば,枝のあちこちに栗のいががついています。枝が高くのびているので,子どもたちは,なかなかいがを落とすことができません。それでも,ときおり「ポトリ,ポトリ」とおちてくる茶色のいがの中にはつやつやとした,柴栗の実がはいっています。坊さんは,その実を見ていると,おなかがすいてたまらなくなりました。
「食べてしまいたいが子どもたちが,いっしょうけんめいとった栗だ。」
と,坊さんは,自分にいい聞かせていました。
 そのうち,子どもたちが,木からおりてきました。地面におちた栗をひろいはじめました。
「これぽっちしかとれんなぁ。」
「わしもこれだけだ。」
 子どもたちは手の中に,すぽりとはいるくらいしか,栗の実はとれなかったのでした。坊さんは,茶色にかがやいている栗の実を見ると,とうとう,
「すまんが,その栗を少しわたしにめぐんでくださらんかな。」
と,たのんでしまいました。子どもたちが,互いに顔を見合わせました。手の上の栗をじっと見つめました。そして,三人は,ひそひそと話をはじめました。
「どうするか。」
「せっかく とったもんなあ。」
「でも,あの坊様,ほんとうに腹がへってるみたいだぞ。」
「かわいそうだな。」
 そのうち,三人の子どものうち,一ばん年上らしい子が,ついと,栗を坊さんにさし出しました。
「おらのをやるよ,食べなよ,また,とりにくればいいもんな。」
「おらのもやるよ。坊様には,親切にしなきゃいかんと,いつもばあちゃんがいってるもんな。」
 三人の子どもは,つぎつぎと栗をさし出しました。坊さんは,子どもたちのやさしさに涙がこぼれました。
「ありがとうよ,これで,わたしの空腹も,少しはしのげる。」
 坊さんはお礼をいい,栗の実をボリボリと食べ始めました。おいしそうに食べている坊さんをみて,子どもたちもうれしそうな顔をしています。
 栗の実を食べおわった坊さんは,ひとりひとりの頭をねでながらいいました。
「おまえたちは,とてもやさしい子どもたちだ,こんなに高い栗の木では,実をとるのもたいへんなことだ。これからは,どんなに小さな柴栗の木にも,実がたくさんなるようにしてあげよう。」
といいのこして,立ち去りました。子どもたちは,遠ざかってゆく坊さんの姿を,ぼんやりと見おくっていました。
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 ふしぎなことにあくる年からは,坊さんのいったように,三尺(約1メートル)ほどの小さな柴栗の木にも,ぎっしりと実がつきました。子どもたちのよろこびようは,たいへんなものでした。両手にかかえきれないほどの栗の実をとっては,家にもって帰り食べました。
 村人たちは,
「旅の坊さんは,困った人を救ってくれるありがたい弘法大師だったのだろう。」
と語りあいました。いつのまにか,守義あたりの山の柴栗のことを「弘法栗」といい,坊さんが腰かけた牛の背のような岩のことを「弘法岩」というようになったということです。