つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

空沢(からさわ)の大熊

 大和田の村はずれにある空沢山には、十五尺(10メートル)ぐらいの断崖絶壁が、いくつもそびえたっております。その大きな岩石の一カ所に穴があって熊がすんでおりました。岩石と岩石の間に幅三尺(1メートル)くらいの切れ目があり、上り勾配に奥の方へ続いております。薄気味悪い岩穴ですから、奥深く入って調べたものはありませんが、ずっと奥の方には相当広い空間があり、空気ぬきの窓のようなものもありました。
 この岩穴に、夫婦の大熊がすみついておりました。この大熊の夫婦は、夜になると山から下りてきては、にわとりや、やぎをおそっては、空腹をしのいでおりました。ときには、子どもがおそわれそうになった事もあり、村人はたいそうこまっておりました。ある時、熊退治を計画した村の人たちは、穴の入り口に、周りが一尺(30センチ)以上もある太い丸太で柵をくんで熊が穴から外へ飛び出すことができないように頑丈にかためました。ある長老が、
「生木の方が煙がよくでるので、生木にせまい。」
というので、穴の外にたくさんの生木の枝をあつめて火をつけました。木が燃えはじめると、もうもうと煙が立ちのぼり、ちょうど煙突のような格好になっている熊の穴に吸い込まれ流れて行きました。
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 煙ぜめになった熊は、穴の入口近くまではきましたがなかなか外には出てきません。地面にはいつくばって煙にまかれないようなしせいで我慢でもしているのでしょうか。村人が、
「どうしたんだ。なかなか熊は外には出てこんのん。」
「ああそういえば『岩穴の奥の方に空気抜きの窓のようなものがある。』と聞いたことがあるが、あの穴をふさがんことには、いくら生木を燃やしてもなんにもなりゃせん。」
などといいあいました。
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 熊がなかなか出てこないので、村の人たちは戦法をかえて、木の枝を穴の中に投げ入れることにしました。持久戦法をつづけて木の枝や薪を投げ入れますと、怒り立った熊は、つぎつぎにこの木の枝を奥の方へたぐりこみました。村人の方では、大勢のものが、次から次へと木の枝を集めては穴の中へ投げ入れました。穴の中は、だんだん木の枝で埋まりましたので、熊は、居場所がなくなってとうとう入口近くまで出てきました。頃合いをみて、猟師が鉄砲で、ねらい撃ちをして大熊を仕留めました。この大熊夫婦が退治されてから、空沢山では熊の姿をみかけなくなりました。それは明治の初めの頃だったときいております。