つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

滝上(たきがみ)の明神様

 杉平の集落から、御前石峠へ向かって五町足らず(約500メートル)ほど登ると、道のかたわらに、岩の真ん中が二つにわれ三分(1センチ)ほどのすきまのある大きな岩があります。これを下の明神様とよび、さらに十五町余り(1.5キロメートル)ほど登っていくと同じように真ん中が三分(1センチ)ほどすきまのある大きな岩があります。これを上の明神様とよび、おまつりしていました。すきまには、白と茶のよこじまの小さな蛇がおり、村人が、峠の道を登っていくときよく蛇の姿を見たものでした。一匹の蛇の明神様が、ある時は上に、あるときには下におられるのだともいわれていました。明神様の岩の上には、大きな樹が多い、つやつやとした緑の葉がしげり、すぐ下には、谷川の水がさらさらと流れていました。
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 明神様は、人々の願いを、よく聞きとどけてくれるということで、世奥の町や村から大勢の人がおまいりにきました。谷川にはいり、冷たい水で、水ごりをして信心する熱心な人もいました。
 江戸時代も終わり近くのことです。新城の石田に、ばくちうちの大親分がおりました。目がギョロギョロと大きく、口のまわりには、ひげがのびほうだいになっていました。作手で、とばくのひらかれた日の夕方、子分をつれ御前石崎を登っていきました。どっさりお金をまきあげ、きげんもよくお酒を飲んでいたので、大きな声でうたいながら歩いていました。明神様の前をとおりかかったときのことです。岩のすきまから、ちらりと茶と白のよこじまの小さな蛇のすがたが見えました。
「へへん、なんだーッ、こんな小さな蛇が明神様なんてわらわせらぁ。」
 親分は、こしにさしていた小刀をぬいて岩の隙間に入れ、ふりまわして明神様をきずつけました。それからまた、きげんよく、峠を登って帰って行きました。峠をこえるころになると、かなり大粒な雨がふってきました。びしょぬれになり大慌てで、新城の橋向の曲がり角へきたときです。
「まてぇー。」
「うわぁー。」
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 親分はきりつけられて殺されてしまいました。きりつけた相手は、なわばり争いのばくちうちでした。明神様をきずつけた、たたりとうわさされました。
 さて、明治もはじめのころの話です。弓木のわさという女が、仲のよい友人と用事で新城へいくとき、明神様の岩の前を通りかかりました。岩のすきまに動くものが目にとまりました。近づいてのぞきこむと、茶と白のしまもようの蛇だったのです。
「なんだ、明神様は、ちっぽけな蛇じゃないか。」
と、ばかにしたようにいいながら通りすぎました。用事をすませての帰り道です。今度は、明神様の岩の上に大蛇がよこたわっていました。
「ぎゃあー、なむあみだぶつ なむあみだぶつ。」
と、お経をとなえながら、和田まで大まわりして家に走って帰ったということです。
 それからは、だれも明神様のことを悪くいう人はいなくなり、村人たちは、心をこめておまつりしたそうです。