つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

田峰からこられた十一面観音

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 江戸時代は天保のころです。大和田の村もとっぷりと日がくれて、静かな夜をむかえていました。
「ドンドン ドンドン」
 小島家の戸口をたたくものがあります。
「はて 今ごろ何の用だろうか。」
 おそるおそる主人が戸をあけると、うすぼんやりとした明かりの中に、ひとりの旅人が立っていました。
「どうか、今日ひとばんとめていただけませんか。山道を歩いてきたのですが、日が暮れてしまい、こまっています。」
 主人はつかれきっている様子の旅人を気の毒に思い、とめてあげることにしました。
「それは それは こちらにあがって休みなされ。」
「ありがとうございます。」
旅人は、ふかぶかとお礼をいい、家の中に入ってきました。ほこりだらけのみすばらしい旅人は、おどろいたことに、子どもの背丈ほどもある黒いお逗子(仏像が祭られている入れ物)を背負っているではありませんか。旅人はお逗子を大事そうにゆっくりと座敷におろし、手をあわせてからいろりのそばへやってきました。小島家の奥さんが、ごはんと汁をすすめました。
「もったいないことです。」
 旅人は、またふかぶかと頭を下げました。
「お逗子を背負って旅してみえるのは何かわけがあるのですか。」
 主人が聞くと、
「はい、わたしは、田峰村の観音堂の寺の守りをしているものです。田峰村には、谷高山(やだかさん)の高勝寺(こうしょうじ)と東区の観音堂があり、それぞれ姉妹の観音様がおまつりしてあるのです。ところが今年になり、わたしが朝、観音堂をそうじにいきますと、観音様のおからだがいつも南西に向いているのです。はじめは、だれかのいたずらだろうと思っていたのですが、何度、まっすぐに直しても必ず朝になると南西をお向きになっておられる。どうしたことかと気にかけていたのです。そのうち、ひょっとして観音様は南西の方面へ、おすまいをうつしたいのではないかと気づき、わたしがお供して旅をしているわけなのです。」
「ほおう。そんな不思議なことも、あるのかのう。」
 主人はおどろき、あらためて大きなお逗子を見たのでした。
 翌朝のことです。
「一晩とめていただき、ごやっかいをかけました。わたしは、南西の方角へと旅を続けていくつもりです。」
 旅人が、主人に礼をいいお逗子を背負いかけたときです。お逗子が急に重くなって、立ち上がることができません。
「よいしょ よいしょ。」
 主人に後ろをおしてもらっても、お逗子はびくともしません。旅人は、背負うのをやめて、ぴたっと土間に手をついてたのみました。
「観音様が、ここにおすまいになられることを望んでおられるようです。どうか、ねんごろにおまつりしていただけないものでしょうか。」
「そんな、めっそうなこと…。」
 小島家の主人は、おそれ覆いこととことわりました。
「観音様は、ここにすまわれることを望んでみえます。お願いいたします。」
 旅人はなおも手をついてたのみます。
「観音様のおたのみならば、すげなくことをるわけにもいかまいのう。」
 主人は、観音様を奥座敷にまつることに決めました。お逗子のふたをそっとあけると、高さ三尺(1メートル)ぐらいの木造金箔ぬりの立派な十一面観音様がおられました。
「なんとまあ おだやかなお顔をしていらっしゃる。」
 じっと見ていると心が洗われるようです。
 旅人は、主人にくれぐれも観音様のことをたのみ、田峰村へと帰っていきました。こじま家にみえた観音様の話を聞いた村の人たちは、ぞくぞくとおまおりにやってきました。観音様は、いろいろな願い事をことごとくききとどけてくれました。小島家にも良いことが、つぎつぎとおこりました。
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 村の人たちは小島家のことをいつの間にか谷高(やだか)という屋号でよぶようになりました。小島家では、こんな霊けんあらたかな観音様を、自分の家におまつりしているだけでは、もったいないからといって、一町歩(1ヘクタール)ばかりの山を一枚、寄付して、今の大和田郵便局のとなりの田の一隅に、小さなお堂をたてて、観音様を安置しました。
 そののち、長い年月のうちには、観音様もだんだん朽ちてきたので、村人たちは寄付を集め、慶雲寺の境内に、観音堂を建てて、おまつりすることになりました。今も、村人の厚い信仰の対象となっております。