つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

こうやまき(その2)

 甘泉寺で、百年ほど前におこった話です。境内を色どったもみじも散ってしまったある朝のことです。
「おしょう様 おしょう様 大変です。」
 庭そうじをしていた小僧たちか、さけんでいます。
「どうしたのだ。」
 おしょう様は何ごとかととぴだしてきました。
「あれを、ごらんください!。」
と、小僧の指さす方をみると、朝日がさしはじめたばかりの、こうやまきの高い枝の間から、青い煙かたちのぼっているのではありませんか。
「あっ、これはこまったことになった。禅師様のお植えなされたこうやまきの中へ火が入った。昨夜は、夜中から風がでたでな・・・。」
「おまえたち早く知らせて人をよんでおいで。」
 小僧の一人が、参道の石段をかけおりていきました。おしょうを始め、みんなは、
「水だ!。」
「はしごだ!。」
と、あわてふためいています。
 きのうは、檀家も寺方も総出でもみすりをしたのです。夕方、手伝いの人々は、いつものように、もみがらやごみを、こうやまきの石段の下の広場へ集めて、火をつけて帰ったのでした。
 それが、夜中の強い風にあおられ、火の粉が根元の穴からはいりこみ、樹の空洞でくすぶっているのです。やがて、近所の人たちがかけつけてきました。聞き伝えた村の人たちも、われもわれもと集まって大さわぎになりました。みんなどうしたらいいのかと、樹のてっペんを見上げるばかりです。こうやまきの樹は、周囲二丈(7メートル)余り、樹の上まで六丈(20メートル)はあろうかという大きさです。
「何とか、消せまいかのう。」
f:id:tsukude:20200823142524j:plain
 たすきがけのおしょう様がいいます。
「はしごかあっても、最初の技にもとどかねえ。こんな樹へ登りようもねえしなあ。」
 手伝いの人もいいます。
「上の穴から、水を入れるったって、水をもっていきようがねえわ。」
 村の人も、くちぐちにいいます。
 そのうちに、一人の老人が、
「これは、しょうがねえで、赤べっとう(赤土を水でねったもの)で穴をふさいでみたらどうかのう。」
と、いいました。
「おお、そうだ。それは、いい考えだ。」
 人々は、赤土をはこぴ、ねり、根元の穴へ石をつみ上げたりして、ぬりこみました。
 ようやく、穴はふさかりました。
「すぐには、消えんけど、そのうちには消えるだら。」
「樹の穴が、上まで通っとるだのう。」
「えれえもんだのう。」
「穴の中の五郎助(フクロウ)もぴっくりしやがったわな。」
 がやがやいいなからも、いくらか安心して家へ帰っていきました。
 その後、火のいきおいは、弱くなりましたが、なかなか消えてしまわなかったのです。どこかに風のとおる所があったのか、七日七晩くすぶりつづけました。そのうちに、雨がふり、ようやく煙かのぼらなくなったといわれています。
 でも、当時の人たちも、この知恵者の老人が、だれであったのか、わからなかったということです。今もなお、その時の赤土か、穴の回りには残っています。