つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

やまとたけるの命とミコサシ

 倭建命(やまとたけるのみこと)は、幼名を小碓命(おうすのみこと)といい、景行(けいこう)天皇の第3皇子です。あるとき、兄の大碓命(おおうすのみこと)をつかみ殺してしまい、父から、そのあまりに激しくあらあらしい気性をおそれられ、西方の賊、熊襲建(くまそたける)兄弟の征伐にやらされました。髪を結い成人の式をあげた小碓命は、遠く九州まで出かけて行って二人を討ち、倭建命の名をもらって帰ってきました。すると天皇は、ただちに東方へ行けとめいじました。倭建命は、
天皇はわたしに死ねといわれるのか。」
 となげきかなしみつつも、おばの倭姫命(やまとひめのみこと)より草薙剣(くさなぎのつるぎ)と、火打ち石の入った袋をもらって東国に出征するのでした。
 これは、『古事記』にかかれている倭建命東征出発までのいきさつです。倭建命が、長いあいだ歩き続けて、額田郡の千万町から、巴山の峠へさしかかりました。峠から、作手の里をながめると、ひろびろとつづく田に、緑のなえが、夏の光を受け、まぶしく光っていました。命が、今日とまられることになっていた長者平村には、いくむねもの大屋根が並んでおり、真夏の日がカンカンとてりつけておりました。毎日続く行軍で、命もだいぶつかれぎみでした。
「よしっ あと少しだ。」
と、元気を取り戻して山を下りていきました。巴山のふもとの草谷(そうや)村(今の明和)に入ったときのことです。きれいな小川に、ふな・なまず・うなぎなおの魚にまじって、一尺(30センチ)ほどもあるこいがむらがって泳いでいるのをみつけました。命は、今までこれほどたくさんの魚がかたまって泳いでいるのをみたことがありません。
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「よしつこのこいをつかまえて、きょうの宿のあるじのみやげにしよう。」
と、つぶやいて、はいていたくつをぬぎ、小川へざぶざぶとはいりこみました。すばやくにげまわるこいに、命も必死になって追いかけまわしていました。
 そのときです。とつぜん命が、
「いたい!いたい!。」
と、大声でさけび、岸へとびあがりました。
「どうなさいましたか?」
 けらいたちが、あわてて命のそばへよってきました。命の葦のうらが、赤くふくれあがっているではありませんか。
「これは、大変なことになった。魚とりどころではない。早く手当てせねば。」
 いたそうな顔をして「うんうん」とうなっている命を、けらいたちは、だきかかえるようにして、長者平村の宿へかけこんだのでした。
 宿のあるじは、命の葦をみて、
「これは小川にすむアカンタにさされたのでございましょう。」
「アカンタとは、どういうものだ?」
不思議がる命に、宿のあるじは答えました。
「この村の小川には、おとなのひとさし指ほどの大きさのアカンタとよんでいる魚がたくさんすんでいるのです。アカンタは、赤味がかった体で、なまずににていますが、毒針をもっているのです。それが、命様の足をさしたのでございましょう。」
「毒をもっている魚がいるとはな。」
命はおどろきました。宿のあるじは、代々家に伝わる貴重な薬をぬって、命の足を、手当てしてあげたのでした。
 それ以後、アカンタは、命をさしたので、ミコサシとよばれるようになりました。ところによっては、アカミコともよんでいます。