つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

弘法栗

 むかし,作手村の菅沼から守義へ通じる山道を旅の坊さんが通りかかりました。黒い衣は,よれよれによごれ,ところどころやぶけていました。坊さんは,昨晩から,何も食べず,山からわきでる清水だけをのみ,歩きつづけていたのです。旅のつかれと,空腹とで坊さんは,ふらふらになり,そばにあった,牛の背のような岩の上にどかりと腰をおろしました。
「ふうー やれやれ。」
 つえにすがりながら,目をつむり休んでいたときのことです。
「おーい あったぞー。」
「こっちだ こっちだ。」
 どこからか元気のいい声が聞こえてきました。子どもたちの声のようです。ゆっくりとあたりを見まわしてみると,目の前の林の中で,ちらちらと,二,三人の子どもの姿が動いています。
 何をしているのだろうかと,なおもよく見ていると,こどもたちは,木の上に登っていくところでした。高い木なので,なかなか思うように登っていけないのです。
「これは あぶないな。」
 坊さんは,たちあがり,木のそばへ歩いていきました。
「これ,これ,そんな高い木に登って遊ぶとけがをするぞ。」
「ちがうよ 坊さん,おらたち,柴栗をとっているだに。」
と,木の上で子どもがいいました。なるほど,よく見れば,枝のあちこちに栗のいががついています。枝が高くのびているので,子どもたちは,なかなかいがを落とすことができません。それでも,ときおり「ポトリ,ポトリ」とおちてくる茶色のいがの中にはつやつやとした,柴栗の実がはいっています。坊さんは,その実を見ていると,おなかがすいてたまらなくなりました。
「食べてしまいたいが子どもたちが,いっしょうけんめいとった栗だ。」
と,坊さんは,自分にいい聞かせていました。
 そのうち,子どもたちが,木からおりてきました。地面におちた栗をひろいはじめました。
「これぽっちしかとれんなぁ。」
「わしもこれだけだ。」
 子どもたちは手の中に,すぽりとはいるくらいしか,栗の実はとれなかったのでした。坊さんは,茶色にかがやいている栗の実を見ると,とうとう,
「すまんが,その栗を少しわたしにめぐんでくださらんかな。」
と,たのんでしまいました。子どもたちが,互いに顔を見合わせました。手の上の栗をじっと見つめました。そして,三人は,ひそひそと話をはじめました。
「どうするか。」
「せっかく とったもんなあ。」
「でも,あの坊様,ほんとうに腹がへってるみたいだぞ。」
「かわいそうだな。」
 そのうち,三人の子どものうち,一ばん年上らしい子が,ついと,栗を坊さんにさし出しました。
「おらのをやるよ,食べなよ,また,とりにくればいいもんな。」
「おらのもやるよ。坊様には,親切にしなきゃいかんと,いつもばあちゃんがいってるもんな。」
 三人の子どもは,つぎつぎと栗をさし出しました。坊さんは,子どもたちのやさしさに涙がこぼれました。
「ありがとうよ,これで,わたしの空腹も,少しはしのげる。」
 坊さんはお礼をいい,栗の実をボリボリと食べ始めました。おいしそうに食べている坊さんをみて,子どもたちもうれしそうな顔をしています。
 栗の実を食べおわった坊さんは,ひとりひとりの頭をねでながらいいました。
「おまえたちは,とてもやさしい子どもたちだ,こんなに高い栗の木では,実をとるのもたいへんなことだ。これからは,どんなに小さな柴栗の木にも,実がたくさんなるようにしてあげよう。」
といいのこして,立ち去りました。子どもたちは,遠ざかってゆく坊さんの姿を,ぼんやりと見おくっていました。
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 ふしぎなことにあくる年からは,坊さんのいったように,三尺(約1メートル)ほどの小さな柴栗の木にも,ぎっしりと実がつきました。子どもたちのよろこびようは,たいへんなものでした。両手にかかえきれないほどの栗の実をとっては,家にもって帰り食べました。
 村人たちは,
「旅の坊さんは,困った人を救ってくれるありがたい弘法大師だったのだろう。」
と語りあいました。いつのまにか,守義あたりの山の柴栗のことを「弘法栗」といい,坊さんが腰かけた牛の背のような岩のことを「弘法岩」というようになったということです。