つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

おもづな淵

 協和地区の赤羽根川と巴川が合流するところを、おもづな淵といっています。現在は、近代的な橋がかけられておもづな橋と命名されました。おもづな淵にはこんないい伝えが残っているのです。
 おもづな淵は、陽当たりもよく、岸には、大小の岩もたくさんありました。体が冷たくなると、日向ぼっこもできるので、大勢の人のよい水浴び場所になっていました。ある夏の昼のことです。ひとりの若者が淵で泳ぎ始めました。若者は向かいの岸に向かって、バシャバシャと泳いでいきました。するととつぜん、牛のおもづなのようなものが、ひらひらと流れてきて、若者のからだにまとわりつきました。
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「なんだ、これは、きみの悪いもんだな。」
若者はあわててときほぐそうとしますが、もがけばもがくほどからだにぎゅっとまつわりついてきます。そのうち若者は、ふわふわと気持ちのよい夢をみているようになりました。つい、とろんとして水におぼれかけました。水を「ガボッ。」と飲んだひょうしに、はっと目がさめ、からだにまとわりついていたおもづなも、はらりととけました。おもづなは、ひらひらと、まるで泳いでいるように流れていき、大きな岩の下にすいこまれるように入っていきました。ようやく、岸にたどりついた若者は、へとへとにつかれ、ぐったりとなっていました。体じゅうの力がぬけてしまったようです。
「なんだか、おかしなこともあるもんだ。」
 ふらふらと家に帰った若者は、どこといって悪いところもないのに立ち上がれず、三日ほどねこんでしまいました。若者はこのおそろしいような、不思議な体験を友達にもうちあけました。
「そんな ばかなことがあるものか、きつねにでもだまされたんじゃないか。」
 みんな笑って信用してくれません。
「いいや、おもづなが流れてきて、まといついて離れないんだ。化けものにきまっている。」
「それじゃあ おれたちが、きょう泳ぎにいってためしてやろう。」
 四、五人の仲間が、いさんで川へ出かけましたが、何もあらわれません。
「やっぱり、きつねにだまされたんだ。」
という話になってしまいました。
 十日ほど後の話です。淵で、別の若者がひとりで泳いでいました。すると、話に聞いたとおり、どこからか、おもづなが流れてきました。体にぎゅっとまとわりつき、どのようにしてもときほぐせません。そのうち、ふわりと雲にのっているような気分になり、ぼんやりしたとたん、川の流れに足をとられおぼれかけました。必死で岸辺へ泳ぎつきました。おもづなは、ひらひらと流れて、岩の下へすいこまれていきました。
「あいつのいったことは本当だったんだ。」
 そう思ったとたん、若者は、力がぬけ、川原に倒れてしまいました。この若者もまた三日ほど、よわよわと床についてしまいました。子どもや女が泳ぎにいっても、川にもなんのかわりもありませんが、若い男性が一人でいくと必ず、おもづなが流れてくるのでした。
「おらは、おもづなのおかげでおぼれそうになった。」
「淵にはなんか魔物がすんでるにちがいない。」
「若い者をだまくらかそうとする化けもんにちがいないぞ。」
 村中は、淵の話題でもちきりでした。きみのわるい魔物を退治したいもんだと、村人たちは、淵をみつめ、どうしようかと思いあぐねていました。
 そのころ、柿平(かきんたいら)に、東右エ門(とうえもん)という武士がいました。やりの名人ということで知られていました。東右エ門は、淵のうわさをききつけ、
「よしっ そんな化けものは、このおれが退治してやろう。」
と、長い柄のやりをかかえのりこんできました。
 淵はしんとしずまりかえり、あつい夏の日ざしが差しこんでいました。東右エ門はまず、淵のまわりをぐるぐると歩きまわりました。とつぜん、水面にむかって、われるような大声でどなりました。
「われこそは、柿平の武士、東右エ門なるぞ、おのれ、にっくき化けものめ、日ごろ若者をだましたる罪はゆるしがたきものなるぞ、今こそ、この東右エ門、天にかわって成敗してくれん、いざや尋常に勝負せん、でてこい!、すぐでてこい!。」
 東右エ門にこたえるかのように、カラリと晴れていた空が、みるみるとくもり、大粒の雨がポツリポツリと降りだし、生臭い風がザワザワと吹いてきました。
「あっ、あれは。」
 東右エ門は、いっしゅん息をのみ、やりをぎゅっと持ちなをしました。淵の向かい側の大岩の下の水面に、ポカリとおもづながうかびあがったのです。へびが、かまくびをもたげたような様子をして、東右エ門めがけて、ズズーと近づいてきました。
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「おのれ、ちょこざいなり エイ!。」
東右エ門は、やりをふりあげ、こんしんの力をこめ、おもづなめがけてつきさしました。ぐさりと手に思い手応えを感じました。おもづなは、淵の中にころげおちていきました。東右エ門が、すばやく淵の中をのぞきこむと、おどろいたこと十七、八才のはだかの若い娘が、脇腹をおさえてたおれています。流れ出る血で、淵の水がうす赤くなりました。東右エ門が娘めがけ、とどめのやりをなげつけようとしたときです。
「お待ちください。」
 娘が苦しそうな声で話し始めました。
「わたしは、ここから、二町余り(200メートルばかり)下流にまつられている弁財天様におつかえしておりました御女子(おめこ)と申すものでございます。うまれつきいやしい心をもっていたため、弁財天様を破門になり、この淵にすみつきました。おもづなの姿に化け、泳ぎにくる若者を、おどろかせては精気をぬき、喜んでおりました。これまでの罪をつぐなうためにも、岩となってながくこの淵にとどまり、水の守りをさせていただきます。どうぞ、おゆるしくださいますよう。」
 娘は、なみだながらにあやまりました。東右エ門は、傷つきながらも必死であやまる若い娘の姿を哀れに思い、
「ゆるそう、つみをつぐなえ。」
と、大声でいいはなしました。すると、水の中の娘の姿は、かきけすように消えてしまいました。それから、しばらくして、川のまん中に、直径六尺(2メートル)くらいの大岩が急にあらわれました。この岩があらわれてから、いくら雨がふり続いても、川から水があふれることがなくなり村人は喜びました。この岩は御女子岩(おめこいわ)とよばれるようになり、淵は、おもづな淵とよばれるようになり、今日に至っています。
 なお、川の近くにまつられていた弁財天様は、明治時代に赤羽根の日在寺(にちざいじ)の境内に、うつされ、大切におまつりされています。