つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

彦坊山の山姥(やまんば)

 むかし、大和田村に半助という鉄砲うちの名人がいました。秋の朝のことでした。
「彦坊山のほらへ、鹿の大群がきたのを見たぞ。」
 と村の人たちが口々にいいだしました。彦坊山というのは、大和田からも、岩波、木和田からも一里(4キロメートル)ほど離れた深い山で、その山の中に、暗がりのほらとよばれているところがありました。木がおいしげり、岩もそそり立ち、昼でも暗いのでそうよばれていました。熊のねぐらのある洞くつもあるそうで、猪、鹿、狸、兎、山鳥、きじなどいろいろな動物がすみついている人里はなれた別天地でもありました。
 半助は、鉄砲をかついで家を出ました。がんこでひとすじな気性の半助は、猟に出るときもたいてい一人でした。
 何匹も鹿をしとめた時のことを思うと、半助の足どりはつい早くなります。暗がりのほらについてみると、どうしたことか、兎一匹みあたりません。
「おかしいな、こんなはずではない。」
 半助はだんだんあせってきました。風向きを気にしながら、注意深く、あちらのくぼ、こちらのくぼと、えものをもとめて歩きまわりましたが、やはり見つかりません。
「いったい どのくらいの時がたったのだろう。」
 半助は空を見上げたが、あいにくとくもり空で太陽の位置がわかりません。
「おらあ、どこらへんにいるんだろうか。」
 半助は、とうとう方角も見失なってしまいました。そのうち、あたりはだんだんうすぐらくなってきました。
「しかたない、こうなりゃ 野宿でもするか。」
半助はあきらめて、大きな松の根にどんと腰をおろし、きせるをとり出して一ぷくしたあと、朝、おかみさんににぎらせたおにぎりを、せおいぶくろからとり出し、ぱくぱくと食べ始めました。なにげなく、前の方に目をうつすと、山の尾根にかすかに灯がみえます。
「はて、こんな山奥に炭焼きはいなかったはずだが…。一晩そこでとめてもらうか。」
 半助は、道のない山の中を、灯のみえる尾根に向かって歩き出しました。いばらにひっかかり藤づるに足をとられながら、灯のあるところにたどりついてみると、そこには小さな山小屋がありました。
「こんばんわ。」
 半助は声をかけたが返事がありません。
「こんばんわ。こんばんわ。」
 やはり返事がありません。半助がそっと戸口の隙間からのぞきこむと、一人の老婆が、黙々と糸車をまわしているのがみえました。着物は、ボロボロだが、顔だちは、品のよさそうな老婆でした。それふぉど、警戒している様子でもなかったので、入口のたれこもを押しあけて小屋の中へ足をふみいれました。
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「おらぁ 道にまよったもんだが、一晩とめておくれんかい。」
というと、コクリとうなずき、こっちへ来いという手ぶりをしました。半助はいろりばたにすわりました。いろりには、火があかあかともえており、ゆれる炎にてらし出された顔をみると老婆ではなく、まだ若さが残っていました。半助がいくら話かけても、ひとことも口をきかず、だまって糸車をまわしているだけでした。半助は、気味が悪くなって、背中がぞくぞくしてきました。
「ひょっとして、きつねかもしれねえ。」
にげだしたくなったが、外は、くらやみです。
「よし、まんいちのときは、鉄砲をぶっ放すだけだ。」
と、度胸をきめた半助は、鉄砲をわきにかかえ、火にあたりながら、ねつかれないまま、夜明けを待ちました。ようやく東の空が明るくなると、女にお礼をいって、そそくさと山を下りていきました。
 一ヶ月後の話です。彦坊山の例の山小屋へ、半助は猟の途中でたちよってみることにしました。いってみると、山小屋は見あたらず、残っているのは、炭や灰ばかりでした。
あとから聞くところによると、山小屋にいた女は、山男の女房だったのではないかといわれており、この山男は、大きな体で顔は赤く、高い鼻とこいひげをはやしており、天狗だとも、原住民だとも伝えられていました。半助が山小屋にとまった夜に、山男がるすだったのは、たぶん、谷へ追い込んだ鹿を、仲間たちと、さらに山奥へとつれていったのか、あるいは、段戸山の仲間のところへ出かけたためであろうか。半助が、一匹の動物もみなかったのも、なっとくのいく話でした。
女が半助と口をきかなかったのは、山男がいつ帰ってくるかもしれないからだとも思われますが、そればかりでもなさそうです。今でも、北海道や東北の熊うちは、山の神をあがめ、里の言葉を一切使わないとうにしているそうです。仮に使おうものなら、猟は中止し、もう一度出直すそうです。
 いずれにせよ、この山男たちは、動物との接触を通して、一般の人たちとは異なった世界を作っていたものと思われます。動物のたましいを、本気で信じて生活した人が、かつてこの村にも住んでいたことでしょう。