つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

古戸崩(ごうどなぎ)

 今から五百年くらい昔のことです。大和田の慶雲寺(けいうんじ)には住職がいませんでした。ある日、どこからかひとりの修験僧が大和田村にやってきました。慶雲寺におまいりをすませたあとのことです。村の役人の家に行き、
「立派なお寺がありながら、お坊様が住んでいないのでは、御先祖様の霊をおまつりすることもできない。御先祖様に申し訳ないことでもあるし、自分がかわって留守番僧をやらせてもらえないか。」
とたのみました。
「それも、そうだのう。」
と村役人は、うなずきながら承知してくれました。
 修験僧がきてからは、いつも窓があけられ、朝夕にはお経や木魚の音が聞こえてくるようになり、境内もさっぱりとはき清められ、慶雲寺も活気づいてきました。
「いい留守番の坊様がきてくれたもんだ。」
「ほんに 慶雲寺も、これで、一安心だ。」
と、村人たちも互いに喜んでおりました。ところが、そのうち寺の大事な器や壺がひとつ、ふたつとなくなっていきました。
「おかしいこともあるもんだな 寺の宝がへってきたみたいだぞ。」
 村の人たちが首をかしげていたころです。
慶雲寺にあったかけじくが、町の金持ちの家仁かけてあるのを見たという人があらわれ大騒ぎとなりました。
「坊様が、売ったにちがいない。えらいことしてくれたもんだ。身元のわからんような人を留守番にするんじゃぁなかった。」
「寺の宝に手を出すような者は、追い出せ!。」
 村人たちはたいそうおこって、修験僧に村から出ていってもらうことにしました。
「ばかものめが。わしが、みんなの御先祖様のおまつりをやってあげているのに、追い出しにかかるとは、恩知らずめ。」
と、僧はかんかんにおこりました。村人たちは、
「出て行け。」
の一点張りです。
「わしのうらみで、この村を河原にしてしまい、ぶっつぶしてやるぞ。みておれ!。」
 僧は大声でののしり、どしどしと大股に歩きながら、慶雲寺をあとにしました。
 しばらくすると、古戸(ごうど)の山の頂上近くに小屋がたちました。
「ほい。あれhなんだん。へんな小屋がたちはじめたのん。」
「なんでも慶雲寺を追い出された坊様がたてたという話だがのん。」
「なにをするつもりだろうかのう。」
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 村の人々は、不思議に思い、山を見上げていました。
修験層は、小屋にこもって、二十一日間の断食をはじめていたのです。大和田村を呪う願をかけていたのでしょうか。毎日のように雨が降り続き、川のみずかさもぐんとましてきました。ところが、ある日、急に今までごうごうとうずまいて流れていた川の水がぴたりととまってしまいました。水のひいた河原には魚が、ぴんぴんとはねまわっています。子どもたちは、喜んで川に入り、手づかみで魚をとっています。このようすをだまってじっと見ていた大和田村の名主、庄兵衛(しょうべえ)は、
「これは何か変わったことが、上流でおきたにちがいない。いってみてくる。」
といいおき、栗毛の馬にひらりと乗ると、弓木(ゆんぎ)の方へ向かってかけていきました。半道(2キロメートル)ほど上流にいったときです。
「ああーッ、これは なんということだ。」
 庄兵衛は、まっ青になりました。柳沢(やなぎさわ)の洞(ほら)で、土砂崩れがおき、道も川もすっかりふさがれていたのです。ふさがれた川の上は、ダムのように見ずがたまり、まさにあふれ出ようとしていたのです。庄兵衛はすぐさまひき返し。家々へ大声でどなりました。
「大水がくるぞ 早くにげろッ!」
「川があふれてくるぞ すぐにげろッ!」
 ありったけの声でさけびつづけました。村の人々は、着の身着のままで家をとびだし、裏山へとのがれました。そのとたん『グワァツ、ドッ、ドッ、ドッ、ドゥ』おそろしい音とともに、みたこともない大水がおしよせ、大和田村をのみこんでしまいました。そのあまりのすごさに、村の人々はどうするすべもなくガタガタとふるえているばかりでした。
 洪水がひいたあとは、ながれてきた大木や、岩石が累々(るいるい)とよこたわり荒れ地のような村となってしまいました。
「おいだした坊様の呪いで、こんなになったのかもしれんぞ。」
「いいや、偶然に、雨が降りつづき、山がくずれたにちがいないぞ。」
 村の人々は、古戸の山を見上げながら、ためいきをつくのでした。いずれにしても川の流れはかわり、大和田村の現在の田畑や家屋はそれ以降に復旧されたものばかりだそうです。この大災害は、いつしか古戸崩とよばれ、語り継がれています。