つくでの昔ばなし

村制施行八十周年を記念して発刊された一冊。

赤和尚のカシャ退治

 菅沼の楽法寺は,今から六百年くらい前の,南北朝時代に,南朝方の親王のけらいであった菅沼俊治公をとむらうために建てられたものだということです。曹洞宗の格式の高い寺で,江戸時代には,末寺が七つもあり,かなりりっぱな寺でした。菅沼俊治公は,三石九斗(702キロ)のお米を寺に寄進していました。七つある末寺は,守義の領正寺,木和田の光林寺,島田の竜泉寺,折立の竜岩院,恩原の正眼寺,下山の常楽寺と,いずれも作手の近くにありましたが,ただひとつだけは,遠く遠州引佐郡の別所というところに本竜寺がありました。
 江戸時代の楽法寺の住職に赤和尚とよばれている人がいました。赤和尚という名は,酒が好きでいつのまにか鼻が赤くなっていたからだとも,いつも酒に酔っていてあから顔をしていたからつけられたともいわれていました。
「すごい和尚さんだぞ。」
という人や,
「酒ばかりのんでいるこまった和尚さんだ。」
という人もおり,さまざまなうわさがながれていました。いずれにしても,赤和尚という名は,近くの村々に知れわたっていました。
 ある年のことです。赤和尚は用事のため,遠州に出たついでに,末寺のある引佐郡の本竜寺に,しばらくとどまり,あたたかな遠州の春を楽しんでいました。そのおり,本竜寺の檀家に不幸がおこり,葬式をおこなうことになりました。作手の楽法寺の和尚さんがみえているときいた檀家の人々のたっての願いで,赤和尚も導師として葬式をすることになりました。
 式の当日,赤和尚がお経を読み,死者をとむらっている最中のことです。今まで,春の明るい日ざしがさしこんでいた座敷が急にうす暗くなりました。そのとたん,なまぐさい風がザァーと吹いてきました。うすきみ悪さに人々は互いに顔を見合わせ,息をのみました。黒雲が,あたり一面に低くたれこめました。雲の中から,何やら大きなけものが一匹とび出しました。
「ぎゃあー!」
「きゃあー 助けてぇ!」
 葬式の会場は,にげる人やら,なきわめく人やら,大さわぎとなってしまいました。
 座敷におりたったけものは,牛よりも大きく,猫ににた顔をしていました。口は耳までさけ,二本のきばはするどくとがり,目は赤くぎらぎらと光っていました。
「カシャだ カシャだ 古猫のばけものだー!」
 だれかがさけびました。カシャは,さわいでいる人には目もくれず,ずかずかと祭壇においてある棺桶に近よっていきました。
「ああっ」
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 みんなは,なすすべもなく,ぼうぜんとカシャをみているだけです。さわぎ,おびえている人の中で,ただ一人赤和尚は,おどろきもせず,ゆうぜんときょくろくに腰をかけたままお経をとなえていました。カシャは,がんじょうな前足を棺桶のふたにかけ,中の死者をうばっていくようすをみせました。
 その時です。それまでおちつきはらっていた赤和尚が,目にもとまらぬ早さで,ぱっと棺桶の上にとびあがり,カシャをギョロリとにらみつけると,
「悪魔退散」「怨敵退散」
と,大声でとなえ,もっていた数珠をカシャに向かって「はっし」と投げつけました。すると,今までたけりくるっていたおそろしい顔のカシャが,かい猫のようにおとなしくなりました。大きなからだをちぢこませ,再び雲にのりコソコソと帰っていったのでした。
 再びあたりは明るくなり,さわやかな風もふいてきました。
「ほーっ。」
 居合わせた一同は,ほっとした大きなため息をつきました。赤和尚は何事もなかったような顔をしてお経をあげています。そんな赤和尚の姿をみて,遺族の人も,会葬者もようやく気持ちがおちついて無事に葬式をすますことができました。今さらのように,赤和尚の偉大さに感心しました。やはり,なみの和尚さんではなかったと大勢の人から尊敬されました。
 楽法寺は,江戸時代の半ばごろ,火災のために全焼しましたが,菅沼俊治公が使用した乗馬用のむち,菅沼家定紋入りの供養膳椀一対,網代かご,菅沼公から住職にくださった竹べい等は持ち出され難をまぬがれました。今も寺宝として大切に保管されています。

雨乞のおつぼ池

 中河内の和助が,子生堂から西の方の山へ仕事にいっての帰りのことです。その日は,いつもと違う山道を歩いて帰ることにしました。すると立木を通して,はるか前方に,きらり,きらりと光るものがあります。
「はて,なんだろう。」
 和助は,早足で,光るものに近づいていきました。
「うわっ,こんなところに池がある。なんと大きな池だ。」
 和助の目の前には,水をまんまんとたたえ,青くすんだ一反歩(10アール)ほどの池がひろがっていました。
「ここは,山のてっぺんのはずなのに,池があるなんて不思議なことだ。」
 和助は,感心しながら,池のまわりをぐるりとひとまわりしてみました。はるか下には,下山村の家や羽布の川のようすが,ひとめで見わたせて,すばらしいながめでありました。
「ほうっ,こんないいところがあったとはのう。今まで知らなんだ。たまには,わき道をいくもんだ。どれ,池で顔と手でもあらって,ひとやすみしていこうか。」
 和助は,ゆったりとした気持ちになり,池で「ばしゃばしゃ」と顔をあらいだしました。
「あれぇー,ここには,おつぼ(たにし)がいっぱいいるわい。」
 すんだ水の中に,茶色いおつぼがてんてんところがっていました。つやつやとした大きなおつぼです。
「なんと,おいしそうなおつぼだ,これは家にもって帰り,おばあさんと,煮て食べよう。おばあさんも,きっと大よろこびするわい。」
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 和助は,もっていた手ぬぐいに,おつぼをいっぱいひろいあげました。
「いいおみあげができたわい。」
と足どりも軽く,山をおりていきました。すると,中河内の家につかないうちに,あれほど,まっ青に晴れていた空が,たちまち黒雲でおおわれ,大つぶな雨がふってきました。
「きょうは,へんな天気だなー。」
和助は,びしょぬれになりながらも,べつに不思議とも思いませんでした。
「このおつぼは,大きくて,うまい,うまい。」
と,おばあさんと食べました。
 峠の池と,おつぼのことは,いつのまにか,村の人にも伝わりました。
「うまいおつぼだそうだ,ひろいにいくまいか。」
「おいらもいくぞ。」
と,ひろいにいく人がふえました。ところが,おつぼをひろって帰ってくると,必ず空がくもってきて,雨がふることに気づきました。どんなに,太陽がてりかがやいているときでも,たちまち雨になりました。
「なんだか,きみがわるいのう。」
「あの池のおつぼにゃ,雨の神様がついとられるのかもしれんぞ。」
「おまつりをしないとどんなたたりがあるかもしれんぞ。」
 村の人たちが,そんな話をかわした夜のことです。ごうごうと大雨がふり出し,川があふれ,せっかく実った田んぼを,水びたしにして,何げんかの家が流されました。
「池のおつぼ様が,おいかりになったんだ。」
 村人は,おそれをなしました。それ以来おつぼ様のたたりをおそれて決しておつぼをひろってくる人はいなくなりました。峠の池は,おつぼ池とよばれるようになりました。
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 ある年のことです。梅雨どきになっても雨がふりません。くる日も,くる日も,あつい日が続きました。
「こんなに,いくんちも雨がふらにゃ,稲がかれてしまうのう。」
「こまったこった。」
 いつしか,田んぼは,カンカンにひあがり,びしびしとひびわれてきました。村人は,心配そうな顔をして,あちこちから集まってきました。
「このぶんでは,あすも雨はふりそうにないのう。」
「そうだ,池のおつぼ様を,おむかえして雨乞をしてはどうだろうか。」
「それは,いい考えだ。そうしよう。そうしよう。」
 さっそく,峠のおつぼ池へお願いにいくことにきまりました。
 雨乞の日には,村中の人がでてきました。笹竹に,御幣をつけたものをつくり,お洗米や,塩,御神酒などをそなえました。ねぎ様が,おはらいをして,雨乞ののりとをあげたあとで,山の枯木や,草を刈りあつめて,うず高くつみ上げてから,火をつけました。天にもとどくほどの,大きな炎となってもえ続けます。村人はせっせと枯木や草を集め,山をきれいにしながら,二,三時間ほどたき続けました。雨をふらせてくれるように,必死でいのり続けました。雨乞の儀式がおわると,池のおつぼ様をおむかえして家へもどりました。すると,あくる日には,「ザーザー」と雨がふり始めました。
「おつぼ様が,願いを聞いてくださった。」
「おつぼ様は,ありがたい神様じゃ。」
 村人は,田にふりそそぐ雨をみて心から喜びました。雨は,まる一日ふりつづいて,ぴたっとやみました。
「これで,稲がかれんですんだ。ありがたい。ありがたい。」
 村人は,むかえてきたおつぼ様を,ていねいに池へおくり返しました。

狸神社

 北中河内のカラクイリに住んでいる狸は、まったくこまったいたずらものでした。大きな犬ほどもある古狸で、背中には、白い八の字のもようがついており、そのもようで、誰にでも、ああ、あのいたずら狸かとすぐわかったそうです。
 中河内に住んでいる人々は、この狸に困っていました。畑の作物をくいあらしたり、山仕事をしている人の弁当をぬすむなんて、しょっちゅうのことでした。
 あるとき、馬を川で洗っていると、そうっと近づいてきて、馬のしっぽを思いきりひっぱりました。
「ヒヒーン、ヒヒーン。」
 馬は、びっくりして、ものすごい速さで、めくらめっぽうかけていってしまいました。
「おおーい まてぇ!、とまれ とまれ。」
 馬のあとを必死に追いかけていく人の姿を見かけることもよくありました。もっと気の毒だったのが、甚べえさです。甚べえさは、馬に荷物をくくりつけ、中河内のみちを「カッポカッポ」と歩いていました。いたずら狸がやってきて、いやというほど、馬のしっぽをひっぱりました。馬はあまりのいたさに、いなないて、しょっていた荷物をふりおとし、こなごなにふみくだいてしまいました。
「どう どう。」「どう どう。」
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 たづなをとり、なだめていた甚べえさを、気のたった馬は後足でけってしまいました。
「ううーん。」
 甚べえさは、そのまま気を失い、村中が大さわぎとなりました。幸い、命をとりとめたものの、甚べえさは、一か月ほど床についていました。
 この古狸は、人間に化けるのもじょうずだったようです。若い美しい女に化けては、村の人をだましました。
 あるとき、一人の若者が夜道を歩いていました。
「あっ いたたぁ いたたたー。」
 若い女が、道のすみにうずくまり、うめいていました。
「どうかしたかのん。」
「急に、さしこみがしまして、申し訳ございませぬが、わたしの家まで送ってもらえないでしょうか。」
 若い女は、品のいいきれいな声でたのみました。
「ああ、おやすいごようだ。」
 若者は、女をせおい、さっさっと、女の指さす家へとおくりとどけました。
「どうぞ、つれてきていただいたお礼に、お酒でものんでいって下さい。」
「そいでも、もう おそいでのん……。」
 はじめはしぶっていた若者も、若い女の美しさにまけて、とうとうへやに上がりました。
「一杯 どうぞ。」
 女のつぐおいしいお酒に、若者は、いい気分になって唄をうたいはじめました。
「お風呂にでも入って、くつろいで下さい。」
すっかり調子にのった若者は、女のいわれるままに、おふろに入りました。おふろから出ると、いつのまにかねてしまいました。
「コケコッコー。」
 一番どりのなき声と、ひやっとするはだ寒さに、はっと目がさめた若者は、まわりを見わたしてびっくりしました。女の家なんてあとかたもありません。若者は、畑のこえだめの近くの草原にねていたのでした。ふと気づくと、からだからは、いやなにおいがただよっています。お風呂にと思って入ったのは、こえだめだったのです。お酒と思いのんだのは、こえのようです。
「うへぇー。」
 若者ははずかしさと、気持ち悪さに、こそこそと自分の家へと帰っていったそうです。
 これも古狸のしわざだったのです。そのほかにも、若い女にまんじゅうをどうぞといわれて、どろまんじゅうを食べてしまったという人もいました。あまりの狸のいたずらに、腹をたてた村人は、狸退治をすることになりました。
わなをカラクイリの近くや、狸の出そうな場所にいくつもかけてみましたが、つかまるどころか、反対に人間たちがわなにかかってしまうのでした。また、わなをかけた数人の人たちが、わけのわからない熱を出してねこんだりしました。
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「狸のたたりだ。」
「わなをかけんほうがいいぞん。」
「はてさて、狸のいたずらにはこまるしのう。」
 村人が、頭をよせあって相談した結果、狸神社をたてて、おまつりをしてはどうかという話になりました。
「それは いい考えだ。」
 人々は賛成をして、北中河内の中央、八幡社の西一町余り(110メートルほど)の山ろくに、狸神社というささやかなお宮がたてられました。のりとをあげ、平和な村となるように狸にお願いをしました。狸神社をたてて、お祭りには、甘酒などの接待をするようになると、狸のいたずらは、ぷっつりとやんでしまったということです。今でも御神体の石碑が残っております。

西田原の大蛇

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 西田原に、そう平という働き者で、正直な男がいました。そう平の奥さんは、かわいらしい赤ちゃんを産むとすぐになくなってしまいました。そう平は、田んぼで仕事をするときにも、畑仕事をするときにも赤子をつれていき、世話をしながらせっせっと働きました。ときには、赤子が泣いたり、むずかったりするので、しかたなしに仕事の手を休まなければなりません。
「よめさんがおったらなあ。」
 そう平は、赤子の顔をみながらつぶやくのでした。
 ポカポカと気持ちのよい春の日のことです。畑をたがやしていたそう平の津核で、子どもたちの、ワイワイとさわいでいる声が聞こえてきました。
「このへび、かわっているぞ、頭にまるいもようがあるぞ。」
「えーい ころしてやれ。」
 子どもたちは、石や棒きれをもってきて、一匹のへびをいじめているようすです。そう平は、畑仕事の手をとめて子どもたちのところへいきました。すると、きずついて血がふき出しているへびがよこたわっていました。
「こら、こら、お前たちなんのつみもない、へびをいじめるやつがあるか、へびもきょうはあたたかいから、のんびりと外に出てきたにちがいないぞ。」
 そう平のことばに、子どもたちは、石を投げるのをやめて「サァ−」と走ってにげていってしまいました。へびは、首をあげ、そう平を見るとするすると草の中に消えていきました。
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 次の日、そう平が、いつものように仕事をしていると、若い女がどこからともなくあらわれました。畑のすみにおいてある〝いずみ〟の中の赤子をあやしたり、食べものをもってきて世話をしだしました。畑仕事がおわるころになると、また、どこへともなく去ってしまいました。次に日も、そう平が、田や畑の仕事をしだすと、若い女があらわれ、赤子の子守をしてくれるのです。そう平は、不思議に思い、女に話しかけました。
「このへんじゃあ、みたこともない人だが、どこの娘さんかのん。」
 女はただだまって、赤子をだいています。
「どこから、きたのかのん。」
 女はだまって、姉川のふちのほうを指さしました。そう平は、ひとこともしゃべらない若い女を不思議に思う一方で、赤子の面倒をみてくれるので、大助かりでした。
 赤子も以前より、まるまると太りだし、むずからなくなったようです。そうこうしているうちに、若い女は、そう平の家に住むようになりました。相変わらず、一言もしゃべりませんが、子守だけでなく、料理、そうじと、家の仕事もてぎわよくすませます。
「いいよめさんがきてくれた、」
 喜んだそう平は、今まで以上にはりきって、田や畑の仕事をしました。女ははたおりの技術をもっていましたので、美しい布をおり、町にもっていくと、よいねだんでうれました。そう平の家は、だんだん裕福になっていきました。
「そう平のよめさんは、口がきけんが、いいよめさんがきたもんだ。」
 近所の人々は。みなうらやましがりました。
 一年がたちました。小さかった赤子もよちよちと歩くようになりました。
「きょうは、東の田んぼにいってくるで、帰りが遅くなるかもしれんぞ。」
 そう平は、よめさんにそういいおいて仕事に出かけていきました。よめさんは、子守りをしながら、パタンパタンとはたをおっていました。そのうち、子どもが、ぐずり始めました。いつもとようすがちがいます。ひたいにさわってみると、ひどくあつく、熱があるようです。よめさんは、はたをおるのをやめて、子どもをふとんに入れ、ねかすことにしました。子どもの横になり、ねかしつけているうちに日頃のつかれが出たのか、ついぐっすりとねむりこんでしまいました。
「おーい!今かえったぞ」
早めに、仕事がかたづいたそう平が戸口をあけました。なにげなくへやの中をのぞき、
「うっ。」
と、息をのみました。
 ねている子どもの横には、大蛇がよりそっていたのです。頭には、まるいもようがあります。
「うわぁー!」
 そう平のひめいに、大蛇は、はっと目をさましました。かなしげな目で、そう平を見るとなごりおしそうに、姉川のふちへ向かっていってしまいました。そう平は、はっと気づきました。
「頭に、一年ほど前、おらが助けてやったへびだ、姉川のふちにすむ大蛇だったにちがいない。おらのこまっているにうぃみて、若い女に姿をかえ、助けにきてくれたのだろう。」
 そう平は、姉川に向かって手をあわせました。
 次の日の朝、戸口に薬がおいてありました。子どもの病気のことが気にかかっていたのでしょう。それからというものは、めずらしい食べ物がおかれてあったり、ときには、金が投げこまれることもありました。そう平は、大蛇のおかげで、一生くらしたということです。

葦道山夢不動尊(あしどうさんゆめふどうそん)

 中河内にある葦道山のお不動様の話です。明治のころ、中河内にとくばあさんという人が住んでいました。とくばあさんは、からだが弱く、ねたりおきたりの、生活をしていました。右手はくの字型にまがり、手首には、大きなこぶができていました。このこぶが、ずきずきと毎日いたみ、とくばあさんの顔は苦しそうでした。ある暖かな春の日の夜のことです。めずらしく、とくばあさんは、こぶの痛みも忘れて、ぐっすりねこんでいました。そのとき、夢の中に一人の坊さんがあらわれました。
「わしは、五百年前、葦道山の寺にいたものだが、井戸におちこんで出られないでいるから、助け出してくれ。」
 手を合わせながら、必死にいうのです。そして坊さんは、ふっと消えてしまいました。
「不思議な夢をみたものだ。」
 とくばあさんは、しばらくぼんやりとふとんの上にすわっていました。朝ごはんを食べていても、夢で見た坊さんのことが気になってしかたありませんでした。
「よしっ思い切って山へ登り、寺の井戸をさがしだしてみよう。」
 とくばあさんは、杖をつきつき葦道山へ向かって歩いていきました。
「おばあさん、どこへ行くんだい。?」
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 近所の子どもたちがよってきました。やさしいとくばあさんは、子どもたちにも人気がありました。
「葦道山の寺にあったという井戸をみつけにいくんじゃよ。」
「わぁい、おらたつもいきたい。」
「いっしょにいって、井戸をみつけてあげるよ。」
 とくばあさんと子どもたちは、葦道山へ登っていきました。夢の中の坊さんがいった言葉をたよりに、山の中をあちこちさがしまわりましたが寺らしきものは、なかなか見あたりません。
 そのうち日も西に傾き始めてきました。
「とくばあさん、井戸なんてほんとにあるのかい。」
「もう、つかれちゃったよ。」
 子どもたちは、くちぐちにいいはじめました。
「ほんにそうだ、井戸なんて、最初からないのかもしれん、もう帰るまいか。」
と、とくばあさんが、よっこらしょと腰をあげたときです。
「あっ!あったぞ。」
 ひとりの子どもの叫び声があたりの山にこだましました。みんな、急いでかけよっていきました。井戸のあとらしきものには、落葉やどろが、ぎっしりとつまっていました。
「ここを、みんなしてほっておくれ。」
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 とくばあさんのたのみで、子どもたちは、棒や手で、砂や落葉をほりだしました。すると、下の方から、お不動様があらわれました。
「夢のおつげのとおりじゃ。」
 とくばあさんは、地面にぺたりとすわりこみ、お不動様をおがみながら、般若心経を、くり返しとなえはじめました。
「おかわいそうに、おかわいそうに。」
 もっていた手ぬぐいで、どろまみれのお不動様をきれいにふき清めました。とくばあさんの顔は、なみだでくしゃくしゃになっていました。子どもたちは、そんなとくばあさんの姿をただびっくりして見ているだけでした。
 そのころには日もしずみ、あたりはうす暗くなっていました。お不動様を井戸のそばの平らな石の上におき、帰ることにしました。翌日から、とくばあさんは、お洗米やお線香をもってお不動様まいりを続けていました。すると、今まであれほどいたかった右手のこぶもいつのまにかなくなり、まっすぐなうでになりました。とくばあさんは、すっかり元気になったのです。このうわさは、たちまち村中にひろがりました。そのうち、隣村や隣町からも、大勢おまいりする人がつめかけました。とくばあさんの夢にあらわれたことから、夢不動とよばれるようになりました。きれいにほりおこした井戸から、あふれでてきた水は、手もきれるほど冷たく、清らかな霊泉として尊ばれました。
 戸板にのってきたような重い病の人がこの水をのむと歩いて帰っていったとか、盲目の人の目がみえるようになったとか、いろいろなうわさがたちました。不思議なお不動様のうわさを聞き、三河地方だけでなく、名古屋、長野、静岡からも、われもわれもと人がつめかけました。一時はお不動様への道には、のぼりや店がたちならび、繁華街のようなにぎやかさでした。
 夢不動様のにぎわいはわずか半年足らずで終わりましたが、その間に集まったお賽銭の多さに村人はおどろきました。このお賽銭をもとに、明治35年12月に、細沢連川の下流観音堂の境内に石造のお不動様をたてました。台座とも十尺(約3メートル)の不動尊像は静かに、細沢連川のせせらぎをみおろして、村人の平和を祈っているともいわれます。今も、おまいりする人や願かけにくる人をみることができます。